発達障がいが見過ごされるわけ。
毎日、気になったこととか、思いつくまま書いています。
今日は、私の発達障がいが、なぜ見過ごされてきたのか? そんなことを、遊里庵の来客とお話したので、記録しておきます。
日本って、決まった年齢になると小学校や中学校に入るレールが敷かれています。 それに乗っかっていれば、親も安心だし子供もとりあえず成長する。でも、学校で培われるのって学力であって、人間力じゃないなぁって思いました。
私は自分の苦手なことを自分で把握してなかったし、それでもなんとなくこの年齢まで生きてきました。
でも、一つの組織に長くいられなかったり、関係している人をリセットしたくなったり、旅に出たくなったりっていうのをくりかえして、積み上げられているものがとても少ない気がしています。
ある時点で獲得していないと、生きづらさを感じる。他人とどの程度の距離感で接していけばいいかとか、実際に生活に必要なお金のこととか所有の概念だとか。
自分のことを自分で説明できるようになるって、”自分らしく生きる”には必須かもしれない。
そんなことを今日思いました。
ちなみに私の苦手なことは、耳で聞く情報を処理することです。聴覚過敏もあるっぽくて、あまりうるさいと人の声も意味も分かりません。
人の声が音として聞こえてはいるんだけど、情報として脳に残らない感じ。残ったとしても少しだけ。
理解できなかったところは、自分の想像で補うので、齟齬があることもたびたび。やってって言われたことが抜けてたり、やらなくていいことをやってたり。
それって、小さい頃なら、落ち着きとかがない子とか、ちょっとうっかり屋さんで片付けられちゃうと思うんだよね。特にテストの点数が高かったりすると、何かの間違いだろうとかで、見逃されていく気がする。
だけど、年齢を重ねていくとそういう積み重ねで、同じところには居づらくなっていったんだろうな。
今は、そういう自分がいることを開示できているので、だいぶ楽です。
この前はバイト先の人にも、言えたしね。
日々少しずつ、自分が生きやすい方法を開拓できている気がします。