人の話が分からなくなる時。
2月3日、節分の日ですね。
私がアルバイトをしてるスーパーでも、恵方巻や豆がたくさん用意されて、お客様が買っていかれていました。
ここ最近は有里さんと、時間をかけて話をします。
自立するってどういうこと?自主性とは?
“だれか”からの評価が欲しくて行動しているのは、自分の人生を生きていない。
お客様が遊里庵に泊ると思って、布団の用意どうしましょうって話をしたんだけれど、一人分だし30分もあればできるんじゃない?という有里さんからの言葉。翌日有里さんが30分でできるって言ってたから準備しようと思います。と言っていた私。
行動の根拠が、自分の経験ではなく他人の言葉。 それに違和感を感じる。変だと言われた。
私の行動の仕方が、だれかに言われてからするっていうのが基本で、自分で考えて行動するのはあんまりしてこなかった感じ。(日本縦断とかは自分の意志でしたけれど)普段の生活が、人任せ。自分の人生の時間を自分で組み立てていない。
有里さんと話をしていると、だんだん理解ができなくなってきてぼんやりする場面もあって、必要なことを伝えられているんだろうけれど、飽和状態になってしまうときがある。
最近はそんな感じになることが多くて。ちょっとぼんやりしています。
フィルターがかかって、自分の気持ちも他人の伝えたいこともわかんなくなっちゃう。
それで、わかんないことで感情がたかぶって涙が出てくるし、悲しい気持ちでいっぱいになる。
多分、相手もなぜ理解できないのかがわからなくて困惑するんだろうなぁ。今の有里さんも、こんな簡単なことなんだよって言うしなぁ。
その時はわからなくても少し(あるいは結構長く)たてば、あの時言われていたのはこういう意味だったのかと分かるときもあるのだけれど・・・。
理解できなくなるときって、歯車が止まったような感じになるなぁ。