無関心を改める
気がつくこと 気にかけること
注意を向けること
無関心が、一番してはいけないよ
今まで、注意して何かを見るとか、めんどくさい、やりたくないって思ってやってこなかった。
自分がしてる行動の責任を自分でとらずに、誰かがなんとかしてくれるだろうって、親だったり、先生だったり、今だったら有里さんに責任をもってもらおうって無意識で動いちゃう。
それって子どものすることだよって、有里さんは指摘する。
もう体の年齢は30になるんだから、もうそろそろ大人になってもいいんじゃない?
無関心はやめにして、人や植物を思いやっていけるように。
思いと、言葉と行動が一致していけるように。
そうやって大人になっていきたいです。
気になった言葉メモ
果物を腐らせるまでほおっておくことは、自分自身のこともほおって腐らせていくことと同じこと。 見て、どうしたらいいか自分の頭で考えることを始めた方がいい。
そばにいる人でだいぶ変わる。
すごいなぁ
有里さんがいると、実態が伴う行動をいっぱいできる気がする。
今日も、仕事に行く前に畑に行って、有里さんとじゃがいもを植えました。
私一人になると、ぼんやりしちゃって、なにができるのか、何をしたら自分の時間を有効に活用できるのかさっぱり検討がつかなくなる。
だから、有里さんみたいに意識がはっきりしてて、目的が明確な人の近くにいると、真似する対象が有里さんになるので、頑張って行動できる。
ということを、今日改めて感じました。
生きることは興味を持つこと
創意工夫が自分の命を輝かせることに繋がるんだよ
そんな会話を今日もしました。
台所の掃除は、一応私が担当するってことになっているんだけど、最初は床を拭いてって言われてたから、その通りしてたのね。それがだんだん、レンジ周りも拭いてって言われるようになりました。
私は言われたことくらいしか視覚や意識にのぼらないので、同じことを繰り返す事の方が多いです。
でも有里さんの周りは、気になるところを自分で見つけて、きれいにしていくって人の方が多いらしくて、それはその場所をよくしたいって思う気持ちが、どこをきれいにすればいいのかインスピレーションがわくって話のようでした。
私は、なかなか興味が向かないので、きれいにするアイディアがわかなくて、それを有里さんに言ったら、興味を持つことが人間らしいよ。と教えてもらいました。
実際に、調理道具のならびを変えたり、自分が使いやすいように整理することはとても頭を使って、面白かったです。 いい時間を過ごせました。
自分の仕事に責任を持つ。
有里さんがコンサートから、帰ってきた。
私は仕事行ってて、帰ってきたら、有里さんが台所の掃除をしてました。
汚れてて気になったそうです。
台所は、掃除を私に任されているんだけど、私がどんどんきれいにしていこうっていう意志が弱いから、だんだん汚れていくって感じてたみたい。
確かに私は、言われたことしか、こなさない( ひどいときは言われたこともしない。)なので、汚れたり、壊れる傾向にあるんだよね。
それを、有里さんは、子どもが大人の真似をしてるだけだよって言ってて、まかせられる大人の仕事のやり方じゃないって話をしました。
自分で工夫して、昨日より今日、今日より明日 きれいにしていくことができるって言っていました。
クオリティをあげると一流になっていく。
そして、言われてやるより、断然楽しいよと教えてくれました。
子どもから大人へ。
これも課題のひとつです。
非常時と日常を続けるためのお金のバランス。
非常用食料用のお金と、日常で必要なお金のバランスがわかんなくて、有里さんが説明してくれました。
私が有里さんに 備蓄用の食料品の適正な種類と量がよくわからなかったので、お金を渡して依頼しました。有里さんの方がきっとうまく活用してもらえると思うから。
で、当日に私も小麦粉と塩と玉ねぎを買ってきちゃって、有里さんから、誰かにお願いしたことは、自分がしなくてもいいこと、今回は有里さんと私が買ってきたことで、多いくらいってことと、非常時に備える分と、日常を続けるためのお金の配分のバランスを見極められるようになれたらいいねって話をしました。
私にはまだ難しい話題です。
こころが 落ち着く場所を見つけられない
いったいいつからなのかわからないけれど、いい子でいることで、怒られることを回避したりする思考回路を私は、持っています。
有里さんが、出掛けてて、私は一人でお留守番してたときの話。 その間、遊里庵でしたらいいねって提案された仕事がいくつか。玄関の室の掃除、玄関の外のタイルがわりにおいてる瓦の整理。雨水が流れるように、水路を切る。去年の薪割りで出た木屑を片付ける。お風呂場の掃除、すのこの天日干し。腐葉土集め。
有里さんのいない四日間。初日はすごい晴天で、この日に山へ言ったらいいねって有里さんから言われたけれど、全然動き出せなくて、明日でいいやってなりました。そのつぎの日もいい天気だったけど、何にも手をつけず、仕事へ出発。 さすがに三日目は、有里さんが帰ってくる!何か、手をつけてないと、怒られる。って事が、原動力になって、山まで行きました。雪降ってたけどとりあえず、腐葉土を集められて、その日は友達と会う約束があったので、遅刻したけど、合流。
お土産渡したり、近況を話しました。このときに、有里さんとの約束した仕事が、全然進んでないこと、どれもやったって言える程度には手をそれぞれつけたこと(どれも中途半端)、自分さえよければって感じで、自分のためなら、頭が動くことを話しました。そのときに言ってもらったのが、嘘はいけないってことと、素直に伝えたほうがいいってこと。
私にとって怒られることはすごく、怖くて避けたいことなので、それを伝えるって、本当にハードルが高いです。
でも、怒られないための行動を考えることに思考力の大半を使ってるから、疲れるんだなぁってことがわかりました。
そりゃ、人の中にもいたくなくなるし、一人がいいってなるわけだわ。
有里さんからのアドバイス
私は、長野で有里さんと暮らしているのだけれど、一人では気づかなかった事とか、指摘されずに過ごしてきたことを、どんどん教わっています。
そんな中で、自分の発達障害の事とか、考え方が柔軟になったことを、文章にして残しておけばいいんじゃない?とアドバイスされました。
私が少しずつ、変わった過程を、文章にすることで、発達障害で困っている人の助けになるよ。
そう言ってもらいました。
いきづらさを抱えて、どうしたらいいかもわからなくて、助けてくれそうな人に頼ったり、らくそうな事ばかり選んだり、自分が出来ない人間だってばれないように、嘘をつく。
そんな感じだったから、意識が子どものまま、自分中心で、自分さえよければいいやって、そうして生きてきました。
今は、その変わり目の時で、自分がこれまで支えてもらったぶん、これから誰かを支えられるようになっていけたらいいなと思います。