決意表明
実家に帰り、両親、兄弟と話をしました。
今の長野の生活は、一昨年の12月に一年だけ行かせてくださいとお願いして出発しました。
2月に帰り、まだ長野にいたいという話をしたとき、両親は本当に心配していたのだと思います。
私は生きていくということがどういうことかいまいちわかってなくて、長野を拠点にするということも軽く考えていました。
具体的に生活にどれくらいお金がかかり、将来的にどうしていくのか、そのビジョンを両親に説明することができず、第三者(今回はお坊さんでした。)を交えて自分の思っていること、考えていることを話ました。
私は将来、コミュニティを作りたい。人が安心して過ごせる空間。電気とか、野菜とか自給していきたい。
これは私の口から出た言葉ですが、私はきちんと稼げているわけではなく、両親やゆりさんの支援があって生活できています。
その基本的な基盤がないことが、両親を心配させてしまう原因です。
なので、私の夢を追う期間を区切る表明を両親と兄弟の前でしました。
2020年までに経済基盤を確立する。有里庵をコミュニティとして成立させる。
それができなければ、私はあきらめて会社勤めをする。
それが今日の話し合いの結果です。
結果的に父から頑張れって言ってもらえて、背中を押されました。
私は頑固で、いい始めたら聞かなくて、自分が体験しなくちゃわからないと言い張ってしまうところがあります。
日本縦断も、長野での生活も私の思いが具現化したからですが、私は回りの心配を見ていませんでした。
でも、気づいた今は心配しつつも送り出してくれることに感謝して2020までにやれることはやりきりたいと思います。
私も泣いて、両親も泣いてお互いに伝えたいことは伝えられたのかなと思います。
本当にたくさんの愛ある人に囲まれてとても幸せです。
頑張ります。