チャンスの神様は前髪しかない
遊里庵での日常生活には高烏谷神社までのお散歩が組み込まれています。
今日はお出かけの予定があったので行けるかぎりぎりのところで有里さんに今出発したら間に合うよと声をかけられました。
私はその時なぜこんなぎりぎりにお散歩を、と思いましたが、確かにそのタイミングしか行く時間がなかったのです。
今日はゲストもくる予定だったのでなおさら。
神社までいくかどうか迷ったとき思い出したのはチャンスの神様は前髪しかないという言葉。
声をかけてもらったのもそれが必要だったからに違いないと思っていつもより速足で神社へ向かいました。途中で有里さんと合流し参拝してきました。
午後一番のその時間帯はとても気持ちよくて行くという選択をしてよかったなと思いました。
どんなことも疲れるからとかめんどくさいとかでやらない理由探しをしていることが多かった自分から脱却しつつあるのかなと思ってうれしかったです。